いきぬき~どこでぬく?ここでしょ!~

どうでもいいことをダラダラかくブログ。ほんと時間の無駄

【雑談】我慢について【主観】

皆様、お久しぶりです。

 

近頃、「我慢」をすることが「悪」と言われている気がしてなりません。

確かに我慢のしすぎは良くないのは間違いない。
しかし、全ての我慢が悪ではないというのが私の持論です。

 

まずは「我慢」についての僕の持論をお話した後、我慢=悪なのか?というお話をしたいと思います。

まずは我慢3つのポイント。順番にご説明いたします。

1.我慢出来る許容量

2.我慢する事でかかるストレス量

3.ストレスの減るスピード差

 

 

1.我慢出来る許容量

 昔から今に至るまで、私が一番問題だと思っているのが、我慢出来る許容量が人それぞれ違う事を認めていない事にあると考えています。

 

哲学的な話かもしれませんが、世間一般で言われる「普通」について、疑問を持った事が皆様一度はあるのではないでしょうか?

 

「普通」とは誰基準?国が決めているのか?

 

往々にして、「普通」は俗するコミュニティの中で作られていくものだと考えています。

国、県、地域、学校、会社などなど。

(国、県、地域はコミュニティとは言わないかな。。。?)

 

そのため酷く曖昧で、A社とB社でも「普通」は変わってくるくらいのものなのに、

それを絶対の判断基準とし、普通でない=悪としている人間が多いように思います。

 

しかもその「普通」を決めるのはだいたい上の人間です。

結局「普通」は個人的な意見なのに、日本人は「普通」に対して異常なこだわりを持っているように思います。

 

「我慢の許容量」が違うことはいまさら言うことではないと思います。

ただ、この許容量の多い少ないは個人差にもかかわらず、コミュニティで作られた「普通」に照らして判断されてしまう事が多い。

 

十人十色という言葉を今一度思い出して欲しいです。

みんな違う、その違いを受け入れられない日本の企業が多いこと多いこと。

ただ、違いを受け入れれる事と甘やかすのは違うので、そこは注意していただきたいですね。

 

 

2.我慢する事でかかるストレス量

 

十人いたら、ストレスのかかり方は十色です。

 

これについてもやはり人と比べて評価してしまっているのが現状ですよね。

 

たとえば、バナナが食べれなかった、という事について。

バナナが大好きな人とバナナそんなに好きじゃない人。

勿論ストレスのかかり方は違いますよね?

 

こんなの当たり前な事じゃないですか。

それなのに、会社や学校ではここを何故か見てもらえない。

絶対に普通を作り、それと比べたがるんです。

 

電話対応で理不尽に怒られた。

人によってストレスの感じ方は違うのに、それに酷く傷つき落ち込んだら、「そんな事よくある事」というように、重要視しない。

これも度合いはあると思いますが、見方が違うのです。

 

「ストレスの原因」は同じでも、「ストレスを感じる人」は違う。

なのに「ストレスの原因」ばかり見てる。

ポイントが違う事に早く気づいて欲しい。

 

 

3.ストレスの減るスピード差

 

人によっては寝て起きたらストレスを忘れている人もいます。

 

しかし、中にはずっとひきずってしまい、翌日に持ち越してしまう人もいます。

 

これを理解せず、自分の杓子定規ではかってしまう人も少なくありません。

(これは私も気をつけている事ですが)

 

自分が忘れても、相手はストレスを溜め込んでいるのかもしれない。

この考えもってほしいです。

 

たとえば、ストレス100まで耐えられる人がいます。

60ストレス与えられたとして、寝たら忘れる人は10まで減っても、

引きずる人は50までしか減ってない。

 

その状態で同じ事が起きれば、寝たら忘れる人は大丈夫でも、

引きずる人は限界に達してしまう。

 

これをストレス耐性、ここでは我慢許容量といいましたが、

こちらの問題だと考えている人がいる。とても多い。

 

ストレスの解消方法は人それぞれ。

休日ゆっくり過ごさないとストレス解消できなかったり、

趣味に打ち込む時間がないといけない人もいます。

 

我慢、ストレスというのはそんな簡単なものじゃないという事を改めて理解してほしいです。

 

 

[結論]我慢は悪なのか?

今まで述べたこと、それは「我慢についての理解が足りていない」という事です。

そのため、もし我慢は悪なのか?という問いを受ければ、私はNOと答えます。

 

理由として、少なからず人は我慢していて、そのおかげで円満な人間関係が築けていると思いますし、それにより円滑に物事が進んでいく事もあるからです。

 

どうしても「集団」には「我慢」がついてきます。

みんなが「我慢」する事でよい方向に動く事があるのは事実です。

 

ただ、じゃぁなんでも我慢すればよいのか?となったとき、

今までお話した3つの項目が鍵となります。

 

我慢許容量50の人に45我慢しろといったらもうギリギリです。

同じ許容量50の人でも、20しか増えない人もいると思います。

翌日にはどれくらい減っているかも人それぞれ。

 

 

少しの残業でも苦痛で苦痛でやめたい、、、

 

私は○○時間も残業してるのに!

昔はこんなの当たり前!

 

原因は一緒でも感じる人はみんな違います。

それをわかっていないのが一番の原因なのです。

 

しかし、それをわかっている人は少ない、、、

だから自分たちで自分たちの事を理解し、守っていくしかないのです。

それなのに「自分」でも自分がどこまで我慢できるかを知らない人がいる。

 

結論、「我慢」=「悪」ではない。

我慢によって良い方向に進む事もある。

その我慢が、自分にとってどれだけの量で、

どのように付き合っていけるか考えたとき、限界が来るかこないか。

上は我慢している事について、どう接して、対応してくれるのか。

「我慢する事」について自分自身と周りの環境を考えて判断していく事が大事だと考えます。

 

最後に、「我慢」=「良いこと」という考えを持っている人がいたら、

今すぐそんな考えはやめてほしいです。

 

なぜなら、我慢するという事は、よい方向には進まない事がほとんどじゃないでしょうか?

 

何かを変えたいなら、我慢は必要ありません。

上司や会社、親や彼氏彼女でも遠慮なく。

我慢とうまく付き合っていく事が大事です。

 

周りの環境を呪っても始まりません。

自分の事を理解し、自分で決める事が大事です。

 

死ぬくらいなら、全てを捨てて生きてみよう。

だって死ぬくらいの覚悟があるなら、ずべてを捨てて生きる事の方が簡単じゃないですか?

 

会社に行く事が原因でストレス許容量をこえるなら、会社に行かなければいい。

死んでストレスを0にする必要なんかないんです。

会社に行かなくて良くなった時間で、少しずつストレスを解消に、ぼちぼち何かしましょう!

 

それだけですごいことですからね!

 

コーラを飲まない事にストレスを感じるけれども、それよりも体重が増えたときの方がストレスがたまるため、コーラを我慢しているnico-chanでした。